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C2C時代のブランディングデザイン
ワコールの町家事業に学ぶ、都市の再生を新たなブランド価値に(解説編)

2020年02月13日

細谷正人氏が新たな視点でブランディングデザインに斬り込み、先進企業を取材する連載「C2C時代のブランディングデザイン」。前回に引き続き、ワコールの町家事業を取り上げます。今回は解説編。

「京の温所 釜座二条」は、建築家の中村好文氏とミナペルホネンの皆川明氏が手掛ける。現代生活に寄り添う「住まい」としての町家として位置づけた

 ワコールは町家をリノベーションした宿泊施設「京の温所(おんどころ)」を京都市内に次々とオープンさせています。京の温所は長年、住居として利用されてきた町家の価値や特性を活かしながら、現代生活が共存する住空間としてリノベーションを施しています。泊まるだけではなく、まるで京都に暮らしているかのような新しい体験を提供する宿泊施設です。東京・青山の商業施設、スパイラルを運営するグループ会社のワコールアートセンターと連携し、ワコールならではの視点で京都の魅力を発信しています。

樹齢100年のイヌマキの古木を臨むようにある庭のライブラリー。京の温所 釜座二条にある。書籍はBACH代表でブックディレクターの幅允孝氏が選んだ。暮らしを豊かにするこだわりが見え隠れする

京都の街並みが、このままでは消えてしまう

 2016年度の京都観光総合調査によると、京都の町家は約4万軒。うち空き家は約6000軒です。過去7年間で消滅した町家は約5600軒、オーナーの高齢化に伴って老朽化や空き家が増加しています。また年間5000万人以上の観光客が訪れる京都は、宿泊客が約1500万人を超えたそうです。過去最多を更新中で、最近では外国人観光客の増加も問題になっています。

 観光客が求める京都といえば、落ち着いた京町家の雰囲気を連想する人が多いでしょう。町家は京都が受け継いできた重要な文化といえます。京都は戦災を免れたため、わずかではあるものの江戸時代の家屋も残っているそうです。町家の間口は三間程度。狭くて奥行きが深い、いわゆる「うなぎの寝床」です。ただ、敷地が狭くても庭はあり、敷地の一番奥が往来から離れている場所に造られているのが一般的です。商家なら、くぐり戸を抜けると商売を営む「店の間」があり、その奥に玄関庭が造られることもあります。

 そんな美しい様式美を持った町家のある京都ですが、かつてのような街並みが消えてしまう危機に直面しているようです。維持や管理の難しさから、空き家になったり取り壊され建て替えられたりして、町家は減少しつつあります。一方で、旅行客の増加に伴う宿泊施設の不足から、次々とホテルやゲストハウスなどが建設され続けています。さらに外国資本が「街並み」を買い占める例も出てきています。例えば、中国の投資会社が町家の並ぶ一角を買い取り、そこを中国風の名前で再開発する計画もあるそうです。

なぜワコールが「宿」なのか

 そのような状況で、なぜワコールが宿泊事業を始めたのでしょうか。その理由は、2点ありました。1つは、京都らしい街並みが変わり、特に町家が減り続ける危機感を地元企業として何とかしたい、という姿勢です。そこで単に町家を活用して宿泊施設にするのではなく、オーナーから物件を借りてリノベーションをし、10~15年後にオーナーに戻すというビジネスモデルを考えました。ワコールが町家再生の事業を立ち上げると、「自分の持っている町家を貸したい」という問い合わせが多くのオーナーからあったそうです。京都発祥のワコールであれば自分の町家を預けても安心だという信頼感につながったのでしょう。

 2つ目は、ワコールが掲げる「美・快適・健康」というテーマの存在です。それらと町家を再生する宿泊事業は、一見すると違いますが、お話をお聞きすると、実は同じだと感じました。「美・快適・健康」という3つのテーマを実現するには、高品質な衣食住が欠かせないとワコールは言います。その「住」に注目したのが、京の温所でした。コンセプトは京都で暮らす「もう一つの日常の体験」。著名なデザイナーである皆川明さんと考えたそうです。

 例えば、京の温所 岡崎ではキッチンやダイニングには、デザイン性で人気があるマルニ木工の家具が置かれ、奥の和室には雪見障子越しに中庭を見ながらくつろげる掘りごたつが配置されています。2階は寝室と和室で昔の梁をそのまま残した造りです。床の間や玄関には、スパイラルが監修したアートピースが空間を演出しています。これらが「もう一つの日常の体験」の実現につながるのです。

 「空間とか時間とか情報のようなものをサービスとして提供できるようになれば、今までとは別のワコールになっていくかもしれません。これまでのワコールでは、宿泊事業をやりたいと言う声は、まず上がってはこなかった。美や健康、快適というドメインにはずっとこだわってきていて、やっぱり女性を美しくという部分はゆるぎないものがありますから」と、インタビューで山口副社長はおしゃっています。

京の温所 岡崎ではキッチンやダイニングにはマルニ木工の家具が何気なく使われるなど、上質な空間を自然に演出している

町家のコミュニティーをいかに育て続けるか

 ワコールの取り組みは地域コミュニティーとのつながり方に対しても丁寧です。事前に近隣住民への説明会を行い、リノベーションが完了したらオープン前に内覧会を開いて近隣住民の方々にも見学してもらう機会を設けているそうです。観光客によるキャリーケースをゴロゴロ転がす音が近所に響きわたらないように、ゲストを迎える機能として京都駅でチェックインできる体制を整え、荷物を宿泊する町家まで届けるサービスも行っています。町家を扱ったビジネスを実現するため、ハードはもちろん、地域住人に溶け込むというソフトまで重視しているのです。

 企業ブランドという視点で考えると、地域の社会問題にかかわり、地域のコミュニティーを重視する考え方は、地域に根差しているワコールにとって、必ずブランド価値の向上につながります。ワコールが考える宿泊事業は、地域の構造や課題を解決するだけでなく、地域が守り抜いてきたコミュニティーをいかに守り続けてもらえるかという思想が中心になっているといえます。外資の大手ホテルブランドとは異なる、地元で培ってきたワコールにしかできないブランディングデザインとして、新しい「住」の提案が見えてきます。

 注目すべき点は、町家という京都における原風景の再構築が、この宿泊事業の起点になっていることです。従来の京都における商業化された宿泊施設という概念を否定し、町家を宿泊施設に限らず京都の価値として、提供できるのではないか、とワコールは提言しているのでしょう。企業が程よい距離感で介在できる有効なブランディングデザインの事例だといえます。

 ただ、既存ブランドが生活者と生活者をつなげて、地域の課題を解決し、ブランドへの愛着を高めるというアプローチは直接的なブランド提供価値になりにくく、必然的に効果が表れるのが遅くなります。町家を15年契約で借りていますから、長期的で持続可能な仕組みをどう作るかが問われるでしょう。短期的なブランド戦略が多いなか、一般的には後回しになりがちな施策です。

 一方で、町家の再生だけでなく、もう少し俯瞰(ふかん)して都市構造の再生という大きな枠組みでも考えると、新たな視点が見えてきます。例えば病院やケアセンター、学校、保育園など、都市における課題を企業のデザインスキルを活かして地域社会に還元すれば、生活者のブランドへの愛着へとつながります。さまざまな社会課題がありますから、チャンスは数多くありそうです。

 カスタマージャーニーマップやUX(ユーザーエクスペリエンス)のように点と点のタッチポイントをつなげるだけでなく、都市や地域社会などの「面」をイマジネーションするブランディングデザインを考えることも1つの方法論かもしれません。ブランディングデザインというテーマはもはや、企業内のデザイナーやマーケッターだけで考えるのではなく、技術者、都市計画者、社会学、自然環境、医学、文化人類学、文学、歴史家、音楽家など複数の領域の研究者とのディスカッションが必要であるということが再認識できます。

(バニスターの細谷正人氏作成)

(写真/行友重治)

(日経クロストレンド2019年08月20日掲載の内容を転載しています。)


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