強い部分と弱い部分が人にはあります。僕にも、あります。

強い部分を伸ばすことや弱い部分を克服することを一生懸命しようとすることは、実は間違っているのかもしれない?と、思うことがあります。「弱い部分」というところが、とても魅力的な部分でもあるからです。そのどうしようもないヘンテコなところでも、何故か許したくなってしまう。それも、その人の魅力なんだと思うのです。「強み」という要素が、ビジネス上でもとても重要な要素になります。だけど、「弱み」だってビジネス上でもっと必要とされてもいいじゃないか!と思うのです。

要するに、その「弱み」がどのような種類の弱みなのかを自覚していないということが問題なのですから。強くあり続ける為には、「弱さ」が魅了するチカラになっていなくてはいけない。今、北京オリンピックの選手達をみていても感じます。弱さを武器にしている選手たちが輝いている。僕にはそう見えます。

たとえそれが結果金メダルでなくても、僕は感動しています。やっぱり単なる強さだけでは物足りなく、弱みを知り、弱みをどのような糧に変換しているのかということが、ぶれることの無い本当の強さ創りだすのででしょう。最近、「弱さ」という言葉になんだか過敏に反応してしまいます。何か深い意味が隠されているような気がするからかな。なんだかセンチメンタルな文章になってしまった。たまには、良しとしよう。笑

E38394E382AFE38381E383A3202.png人に見られていると感じる日記はある意味、純粋な日記ではなくて、自分は人に向けて演出して書いてしまう時があります。どこか力が入ってしまいとても慎重になってしまいます。ブログって皆さん本音を書けているのですかね?そんなブログは面白くない!ということで、できるだけ、そんな無駄なチカラを抜いて書くことを心がけています。少しでも僕の匂いがするブログに。単なる義務ではなく、僕が書きたくなったときに、このブログを書くことにしていますので、ブックマークして楽しみにして頂いている方、毎日、書けなくてごめんなさい!

さて、バニスターがスタートしてから約1ヶ月、試行錯誤しながらやっと『バニスターの考え方』ということを、明文化してまとめることができました。いわば、ポジションとしては企業理念というところでしょうか。前の日記でも書きましたが、この『バニスターの考え方』と共に、社内には『バニスターの夢』という明文化された文章が飾ってあります。立派な額縁の中にこの「夢」が書いてあるメモが入ってます。つまり、僕たちには「考え方」と「夢」が設定されています。言い換えれば「プロセスや方法論」と「ゴール」が設定されているということです。

僕らのような小さなチームはこのくらいのコンパクトで濃厚で人の熱さみたいなモノを用意することが必要だと思っていました。実は、これ、ブランドの創り方そのものでもあるのです。こんなふうにすると会社が楽しくなる。もっと面白くなる。そんなふうに僕たちの会社が憧れてもらえるような存在になるための準備です。

自分たち自身で会社を立ち上げて、本当に痛感することがあります。やっぱり、何かの一定のモデルで全てを括ることは不可能だということです。僕らのような小さな会社でも、僕らなりの会社の創り方があるわけです。少しでも自分たちの匂いを漂わせたいと思う。それはごく自然なことです。ということはやっぱり、2000人の会社でも、10万人の会社でも同じように、まずは一人一人の誇りや匂いを漂わせようと僕らは努力をしなくてはいけないのです。もちろん物理的な問題がありますから、これは極論です。そこで、やっぱり考えます。「会社って、一体。。。」こんな当たり前で、素朴な問題を、単純に答えを出さずに悩み続けたいと思います。会社って皆さんにとって、一体、何者ですか? 会社は何のために必要ですか? 会社の夢と皆さんの夢は一緒ですか? 日本の会社が、もっと元気になるお手伝いこそが、僕たちのやりたいことなのです。

僕のリュックに、詰め込めるモノは?

バニスターは一体、何を企んでいるんだ?(笑)という、ご質問を受けます。この答えについてはどうぞWEBで!という繋ぎにしたいというのが、このブログを立ち上げた意味でもあります。しかも、たくさんの皆様からバニスターを注目して頂いています。本当にありがたいことです。

そして、もうひとつ、このブログは僕の相棒的な「リュック」のような場所にしたいということです。いつまでも言い続けたいことをこの「リュック」の中に詰め込んで、いつでも、いろんな話をリュックから取り出せるようにする。それは、考えた分だけ、意味のある深い話ができるから。

僕は今まで、建築も、ミュージックビデオも、CMも、NETも、イベントも、音楽も、商品企画も、パッケージデザインも、ネーミングも、数多く関わらせて頂けた幸せな環境でお仕事をさせていただいていました。そんな体験をさせてもらった自分にできることは何か?

いろんな環境で、いろんなプロフェッショナルな方々と関わらせていただけた経験を、この「リュック」に詰め込んで、そして、僕はこれから、どんな言葉と行動で伝えようとするのか。自分でも楽しみなのです。だから、これからも皆さんとお話がしたい!!!本当に、そう願っています。

大きく分けて、二つの種類のプロフェッショナルがこれからも必要になるのだと思います。何か、1つの分野を深く掘り続けて答えを探すか。もしくは、複数の分野を「繋ぎ合わせる接着剤のような役割」を新たな価値として創りだすか。明らかに、僕が目指そうとしているのは後者です。そして、「繋ぎ合わせる接着剤」ということを深く掘り続けていきたい。これが答えです。まったく欲張りですね。(笑)

繋ぎ合わせる仕事をするためには、気をつけないといけない注意点が数点あると思います。例えば、1つの分野を深く掘り進めてしまうと、俯瞰して全体を見る客観性を失っていくと思います。それは、紛れもない事実です。やっぱり人間ですから、純度の高い客観性は持ちづらくなります。自分のベースであり、惚れ込んだ分野だからこそ、主軸にしてすべてを構築してみたいと考えてしまう。これはやっぱり当たり前の本望です。僕だって、そうします。デザイナーであれば、デザインで。音楽家であれば、音楽で。もちろん、一概に括ることはできませんが。つまり、やっぱり「繋ぎ合わせる接着剤」みたいな存在もそろそろ必要なんじゃないですか?!ということなんです。(笑)

そんな時代が近いうちに求めてくれることを願って、僕の「リュック」には、様々な角度の視点の考え方を詰め込んでいきたいのです。未だかつてない、柔軟で斬新な発想で。あるときには、CMで。あるときには、NETで。あるときには、建築で。そこには、必要以上のプライドはありません。僕の場合。僕が、目指すのは「お客様」が真に求めているモノですから。

もうひとつのニッポンを創ること。

日本の国力が落ちている理由。この話題が、最近よく出てきます。

先日も、とあるミーティングでこの話題、出てきました。日本の国力、本当に難しい問題です。何層にも重なって問題が山積していることで、複雑化しているわけで。。。その1つの解決方法として、やはり、いろんな方々がおっしゃられていますが、「もうひとつのニッポンを創り上げる」という考え方があるように思います。日本が戦争も行わず、高度経済成長もなく、ネットバブルもなく、緩やかに独自の文化を持ち続けながら、現代に至ったのならば、どんな日本がそこに出来上がっていただろうか。という考え方です。そこに、ある一定の答えが私はあるように思います。

現代の在り方のスピード感に対して明らかに寄り戻しが始まっていて、酷い状況だと、寄り戻すことすら気付くことができずに、立ちすくんで停滞してしまっている産業もある状況です。先日のミーティングで出た話題でも、今まで、日本は戦後の成長経済に産業が対応してきた結果、飽和状態の経済の中では、持続性のある1手を見つけるのが不得意という状況が起きてしまっているのではないかという議論になりました。例えば、企業のCSRに対する意識を見ると、それを物語っているような気もします。

「もうひとつのニッポン」を考えるという活動は、具体的なカタチとして、日本の自給率39%を、40%に、そして41%にと、着実に一歩一歩、右肩上がりで向上させていくことに繋げられてしまうような活動になります。これを批判する人は居ないはず。だって、「日本らしさ」を大切にしたいと、日本人みんなが願っているのですもの。しかしなぜか「日本らしさ」の本質に、反している状況が沢山あります。その絡まった糸を一本一本、解いていく人間が必要なのでしょう。解いていく間に、それを邪魔する人もいないと願いたいです。これは、もっともっと深く議論を重ねなくていけない議題です。そして、とにかく行動あるのみ!!!!!これは、僕に課せられた使命にしないといけないと思っています。

今日はスタンダード・シリーズの菱川さんと飯野さんにお会いしてきました!お二人とは、10数年前、ドローイングアンドマニュアルに僕が居た頃からお世話になった方々です。こんなに小さな僕を育ててくれたお二人と言っても過言ではありません。(笑)世田谷羽根木の閑静な住宅街の中にあるオフィス。素晴らしく格好良く美しいです。外国人用の住居なので、全てがデカイ!部屋も階段もトイレも窓も。こんな環境で仕事ができたらなと憧れます。

菱川さんは、激務の中、武蔵野美術大学基礎デザイン学科准教授もされているとのことで、最近のデザインブームによる学生達の反応や学生達に足りないモノの話など、デザインを通した「教育」の在り方についていろいろとお話をさせて頂きました。本質を捕まえる作業がデザイン活動の一部なのに、結果的に表面的な表現に留まってしまう学生達にジレンマを感じるお話など。

これから「教育」というテーマを考えることは、「モノを創る」という活動において、やっぱり必要不可欠な基礎活動になるのだなと改めて実感しました。この基礎デザイン学科、錚々たる教授陣なのです。深沢直人さんに原研哉さん、そして菱川さん。学生達はしあわせですよね。ところで、モノを創る上での、基礎活動って、基礎教育って何なのでしょうね? これって、とても大切なことを決めようとしているような気がします。

ちょっと話は反れますが、 例えばマーケティングを勉強してきた、MBAを取得してきたなど、ある時期は1つの道しるべがあったように思うのですが、それも今では昔程必要とされていないような気がします。多分それは、「モノを創る」や「モノを考える」という活動そのものが人間が持つ本能と同じであるべきで、だからこそ本質的に捉えて、人間の本能を大切にしたいと思うごく自然な気持ちが増しているのかもしれませんね。これが本質的な「基礎」ということなのかも。でも、これって良いことなのかもと思うのは僕だけでしょうか。今の時代が「基礎」に戻ろうとしているし、キチンと考えようとしている。うん。これは、良い方向に向かっているのかもしれない!