May 2010

朝食の風景からみえること

今日は朝食の話をひとつ。

今、シンガポールオフィスにいます。こちらのスタッフや友人たちとホーカーズ(屋台村みたいなフードコート)で朝食を食べると、朝から飲茶やら、ビーフンやら、ローストダッグ、ポットヌードルなどが当たり前に並べられます。もちろん最後は美味しいコーヒーは重要です。笑 いろんな国を旅すると、朝食がこんなにも違うのかと驚かせられることが良くあります。朝食って1日の活力を補うための大切な位置づけだと思うのですが、恥ずかしいことに日本で僕は朝食を食べません。せいぜい良くて、フルーツヨーグルトを食べるくらい。朝ご飯をきちんと食べる習慣のある国は、やっぱり元気で、エネルギーのある国になっているのではないかと思うのです。朝が元気な国は人の活気が違うし、市場や店が、都市全体と融合して「さあ、今日もがんばるぞ!」っていう、力強い空気を感じるのです。

僕の旅のひとつの工夫として、朝食を通して、その国の人々を知ることをしてみてはどうかと思っています。ホテルの朝食ではなくて、ローカルの朝食を体験することこそ、貧富の差ではなく、今の暮らし方をすぐに理解できる方法だと思うのです。いつか、朝食というテーマを通して、海外だけでなく日本の地方も含めて、地域性や文化人類学のような形でまとめられると良いなと思っています。

※シンガポールスタッフが、僕がまだ食べたことの無いローカルフードを買ってきてくれました!

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前々から建築とブランディングという仕事は同じなのではないかと思っています。僕は大学時代、建築学を専攻していたのですが、 それが今ではパッケージやロゴ、広告、ウェブなどを作るブランディングデザインの仕事をしていてるという不思議。僕の思考プロセスは、設計や模型を作っていた時を常に思い出すのです。

建築家レム・コールハースは、「建築は形態ではなく、その中で起こること自体」「建築は計画するのではなく、人間の活動を並べること」とある書籍のインタビューでそう発言しています。これを僕らの仕事に置き換えると、パッケージデザインやロゴデザインは、形態ではなく、その中で起こること自体を表現すべきであり、パッケージデザインやロゴデザインは計画するのではなく、人間の活動を並べることと言えるわけで、正しく消費者視点の話に直結するし、同感できます。

そこで、改めて思うのです。まだ大部分の作り手は、形態を追い求め、表面的な事柄のどこかを探し続けている。その結果、デザインは消費され続けてしまう。紛れも無く、数多くいる作り手達が持つモノづくりへの思想の深度が浅いのでしょう。だから、こんな当たり前なことを呪文のように繰り返し唱える必要があるのです。

「美しさは追い求めるものではなくて、副産物として現れてくるもの。」 この考え方が、やっと日本でも、地域再生などの活動を通して定着されてきています。しかし、一方では極端な言い方をすれば、最高の美しさを極めるためには「長く醸成される時間」が必要だと思われていて、すぐに、到底太刀打ちできない領域ではないかと途方にくれてしまう。そして、猛スピードで作られたデザインのようなモノは、どこかで試されるように静観されてしまう。とても冷ややかに厳しく。

今、クリエイティビティは勿論、マーケティングそのものが、四面楚歌的な状況の中にあって、僕らは何を目指そうとしているのかということ自体を示すべきなんだと意識しながら、2年やってきたのだと思うのです。僕らバニスターは、決して原点回帰でもなく、事態を静観するわけでもなく、とにかく行動主義を信念において「真のブランドを創る」とは一体どういうことなのか、もう一度解いていくと決めています。

その挑戦として僕らは、アジアという枠組みの中で、フレッシュでハイブリットな戦略とクリエイティブを求めているので、従来とは異なる「アンチ・ブランディング」的な180度方向転換したプログラムの構築を志していることになります。単にプログラムと言っても、過去と比較すると、一定のメソッドに流し込んだ米国発のベルトコンベア式に工業化されたロジックではなく、垂直的に同時に立ち上げて、呼吸を合わせながら、躍動感のあるLivelyな状態で、まるでラグビーのスクラムのようにとてつもないパワーでゴールを目指していく底力のようなアジア的な方程式があるはずだと思うのです。それはまだ、秩序の無い予測不可能で不安定なプログラムの模索です。だから面白い。正しくそれが日本を含めたアジアの最大公約数になるのです。

ブランディングとは、もはや、プロセスそのものが重要ではなく、魔法のようなハイブリットでフレッシュな出来事が生まれることを目指すことが重要です。それが、きっと日本やアジアで「ブランドを創る」ということになります。大きな視点でみても、21世紀的な猛スピードの中で、人間の中で起こること自体すべてを、ハイブリットにフレッシュに築き上げようとしているのがこれから10年のアジアだということです。日本、中国、米国、東南アジア、そしてもう一度、戻って日本を考えたときに、「ブランドを創る」とは何かを考えた連休でした。

I used to think that the work in architecture field and branding field are the same thing for a long time ago when I was an undergrad student, majoring in Architecture. However, I can hardly believe that now I’m doing the branding design; from website, advertising, logo to packaging design. Thinking about the way I process my thoughts, the image of when I was making design and model always popped up in my mind.

“Architecture is not about the form, but something that occurred inside itself,” “Architecture is not to plan but how to put human activities in order,” quoted Rem Koolhaas - the architect - from his interview of a publication. We transferred this concept to our work; packaging design and logo design, not the form, but it should be the thing occurring inside. Also the same feeling, not planning of packaging and logo design, but it’s about how to arrange human’s activities in order, linking directly to consumer’s perspective precisely.

Think about this again. Most of the designers still follow the forms and are still looking for superficial things. As the results, designs will still be consumed continuously. It’s undeniable that the thought towards craftsmanship of a large number of designers is quite shallow, isn’t it? Then, we perhaps need to cast a spell on this cliché hoping to better it somehow.

“Beauty is not something to pursue but just something that appears as a by-product.” This way of thinking, finally also in Japan, has already been established by means of certain activities, such as regional revitalization. On the other hand, if speaking in an extreme way, we might need “long brewing time” in order to master this very beauty. I, at once, am being confused whether this would be the world we cannot conquer at all or not. Then, quickly designed products will need a careful supervision to put in experimentation somewhere. Well, strictness without mercy…

Nowadays, creativity is definitely surrounded by a confinement, so-called “Marketing.” While I started realizing things we should point out what we’ve tried to aim, we’ve been doing for two years already. Our Bannistar’s concept is neither going back to the basic nor thorough supervision, anyway, by believing in behaviorism, what is “making a real brand” really? Let’s solve this one more time.

For this challenge, since we’re seeking for new hybrid strategy and creativity in Asia, we’re aiming for structure of “Anti-branding” approach, which is 180 degree opposite and different from the past. Simply-called “Program,” yet, compared to the past, I think there should be Asian formula with hidden potential with dynamism mobilized at the same time, not with the industrialized concept of USA innovative “conveyer belt style” by certain methods, as if we’re aiming for the goal using an enormous strength for rugby scrum. We are still groping for an unstable program with unpredictable confusion. That’s funny. This will become “the biggest common divisor” of Asia, where Japan also exists.

For branding, it’s more important to aim for the thing that is newly born with hybrid quality than the process itself. This concept is something, which “Brand building” will definitely implement in Japan and the rest of Asia. Looking holistically, in this ever changing 21st century, to build up things occurred inside itself among human will take another 10 years from now. Japan, China, USA and South East Asia, then back to Japan, I myself wondered, so….. what is “Brand Building” again?